こんにちは!
タイトルにもありますが、東日本大震災から早いもので8年という月日が経ちました。
早いですね。本当に。
実は昨年身内の不幸などもあり、実家に帰る機会がありまして、久々に有名な被災地を少し巡ってきましたのでそのお話をしたいと思います。
もしかしたら知ってくださっている方もいらっしゃるかもしれませんが、私阿部の実家は宮城県の石巻市にあります。
震災前は石巻といっても知らない人が多かったのでしょうが、東日本大震災のあとは石巻が実家だと言うと必ず、「家は大丈夫だったの?」「石巻って震災がひどかった地域だよね?」と聞かれたものです。
当時仙台に住んでいた私は、数日間電気が使えない、2週間ほどガスが使えない(お湯が使えない)というくらいで、実際に津波の被害にあった人と比べると大した被災はしていませんでした。
しかしながら実家は床上30センチ程浸水、家族全員避難所へ非難したり、普段は道路のはずの川を渡ったりと被害は多くありました。
そんな地元も今では多くの新しい建物が建ったりしていて、正直自分の地元のはずなのに知らない街のようで不思議な気持ちになります。
実家は被災はしたものの、先の通り被害は少ない地域でしたので家もありますし、親族全員が無事と大変恵まれていました。
そんな実家からよく通った街は跡形もありません。
私の中学校は田舎にありましたので、地域の二つの小学校の卒業生が一緒にそこへ通っていました。
なので中学校の時は学区内でもあるもう一つの小学校側の友達の家に行ったり、バッティングセンターへ行ったり、ただ街をぶらぶらしたり。懐かしいです。
そしてそのもう一つの学校というのが門脇小学校です。
山のふもとになるので、津波の際はたくさんの流されたものがその小学校まで押し寄せ、車から漏れたガソリン等へ引火し燃えてしまいました。
今も学校自体は残っているのですが、取り壊しを行うのか全体が布で覆われ、隙間からボロボロになった学校が少し見えるだけ。
通っていたわけでもないのにじーんとしました。
その学校のすぐ裏手にある日和山という山から街が見渡せるのですが、変わり果ててしまった姿に改めて驚かされました。
そんな中でも新しい建物が建っていたり、人が生活している音が聞こえてきたのは少しだけ嬉しかったです。
良くも悪くも時間は流れ、人も物も変わっていきます。
”復興”
頑張って欲しいですね。
R.I.P.
阿部
投稿者プロフィール
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出身地:宮城県石巻市
生年月日:1990.10.25(31)
シェアハウスBONBON大宮の担当。
フィリピンでの1年2ヶ月間の語学留学経験あり。多少の日常会話であれば英語での対応が可能。
趣味は料理・旅行。とてつもなく海外旅行に行きたいこの頃。
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